店舗の歴史とお菓子の歴史||埼玉県川越市の株式会社龜屋

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龜屋菓子年表

1756年(宝暦6年) 初代山崎嘉七 現在の長野県中野市上笠原に生まれる。
1783年(天明3年) 初代嘉七28歳 現在の場所で「龜屋」を創業する。
1812年(文化9年) 二代目嘉七襲名
1831年(天保2年) 三代目嘉七襲名
川越藩に認められ、「御用商人」として出入りを許される。
1847年(弘化4年) 京都嵯峨御所から河内大掾の永宣旨と藤原嘉永の名を賜る。
1848年(嘉永元年) 山崎豊 四代目嘉七襲名(17歳)
1878年(明治11年) 第八十五国立銀行設立 豊 頭取就任。
1883年(明治16年) 五代目嘉七襲名(14歳)
1893年(明治26年) 川越大火 町域の約三分の一が焼けてしまう。
1894年(明治27年) 本店を蔵造りで再建 ほぼ現在の姿になる。
1898年(明治31年) さつま芋の新品種「紅赤」を使った芋煎餅「初雁焼」を考案。
続いて「初雁城」「初雁糖」「初雁霰」を開発 販売開始。
1900年(明治33年) 川越商工会議所設立 豊 初代会頭就任。
1906年(明治39年) 洋菓子の製造販売を開始する。
1920年(大正9年) 三つ亀甲を商標登録。
1927年(昭和2年) 六代目嘉七襲名(35歳)。
代表銘菓 一口サイズの亀甲型最中「亀の最中」を考案。
1943年(昭和18年)
~1950年(昭和25年)
物資窮乏のため休業。
1952年(昭和27年) 事業再開。
「きみしぐれ」の販売開始。
1975年(昭和50年) 七代目社長就任(七代目以降、嘉七襲名は行わず)。
1981年(昭和56年) 旧工場閉鎖 新工場稼働開始(川越市芳野台)。
1982年(昭和57年) 旧工場跡地を利用して、四代目嘉七(豊)生誕150周年を記念した山崎美術館を開館。
1984年(昭和59年) 八代目社長就任。