天保6年(1835)
同12年(1841)
弘化4年(1847)
同5年(1848)
安政元(1854)
万延元年(1860)
明治4年(1871)
同15年(1882)
同17年(1884)
同21年(1888)
同 年
23年(1890)
同 年
28年(1895)
同 年
同 年
29年(1896)
31年(1898)
32年(1899)
同36年(1903)
同41年 |
川越藩松平周防守の抱え絵師橋本晴園の子として生る
7才にして父の手ほどきを受く
13才にて勝川院雅信の門に入り勝園雅邦と称す
14才1こして両親を失う
20才にて勝川院塾頭となる
26才にて独立し妻とめを娶る
海軍兵学校に出仕製図に従事す
農商務省主催内国絵画共進会に出品銀賞受領す
同 上
東京美術学校創立され日本画主任教授に任命される
同校長岡倉天心と協力し同校よリ横山大観、下村観山、菱田春草など在校し雅邦の指導を受く
第三回内国勧業博覧会審査委員となる
帝室技芸員制度制定最初の委員となる
還暦を迎える名声愈々高し
第四回内国勧業博覧会審査委員となる
川合.玉堂入門する
日本絵画協会結成し審査員となる
岡倉校長と共に東京美術学校を去リ日本美術院を組織し渾身の努力を傾注す
(出身地)川越の有志によリ画宝会発足す
第5回内国勧業博覧会に瀟湘八景出陳す
宿痾胃癌によリ逝去行年74才なリ |